20230717 冷房と独房
3連休最後の日。日記を復活させようと思った。
どこでもなく、かつ誰でもない自分でいられる場所が必要になった。在宅仕事が終わってから、人、人、人に囲まれている気がする。気がするだけではなく、実際に朝晩の通勤電車、オフィスでの仕事、日常の買い物などで人波に揉まれている。人、人、人。すれ違う人すべてにそれぞれの人生があるかと思うと気が遠くなる、という言い方が浮かんで、すぐ消えていく。
オフィスでの人間関係は良好だ。全員大人なので、程よく仲が良く、程よく距離を取って接しあっている。私はただ、現実の人間が発する気に、質量に、少しずつ疲弊しているのかもしれない。そんな自分自身に気が滅入る。が、嫌悪するだけなら幼いままだ。自分がそういう性質を持っていることを踏まえて、それでも明るいところを見なければ。
そう思うと、現実のものや人ではない、自分の内が作り出した何かに怯えている自分に気がついた。今の職場で誰かが自分を脅かしているか?お前は邪魔だと追い出す人間あいるか?答えはノーだ。自分で作り出した恐怖に怯えているだけ、とわかると少し楽になった。
今を生きていると思うのが正しいのに、過去が終わってないという顔で人生を歩いてしまう。それはとっくに終わっていて、もう追いかけて来られないほど遠くにいるのに。すごく遠くまで来たんだよ、と自分に言う。そうすると少し安心する。
過去の積み重ねで出来ている部分ももちろんあるけど、同時に常に進んでいる。未来にむかって留まることなく、足を進めている。だから大丈夫、というわけでもないけれど、進んでいるということを感じられれば、怯えていても不安でも、必ず今に戻って来られると思うのだ。遠くまで来た、これからも歩いていく。これからも。
雑記 永遠に出られない部屋
昨年末、ipadのデータ整理をした。
いらない写真や書類を整理して、最後にPagesを開くと、「短編」と「短編2」と書かれたファイルが出てきた。
保存された日付を見ると、二つのファイルは去年の8月に作成されていた。
去年の夏頃に書くのをやめていたから、その直前に書いていたものらしい。全く記憶になかった。書いた記憶事態はあったが、データをどこに保存したかは全く覚えていなかった。
自分の書いたものに対する執着すら、持つ気概をなくしていたんだと思った。
自分から生まれたものに一切価値を感じることができず、もういいのだと拗ねた子供のように思っていた。
創作は己の悲鳴なのに、そこから目を背けて楽になれると思ったのだろうか。
書いても苦しい、書かなくても苦しいのだ。
「価値を感じる」なんて次元で物を書いていないのだ。もっと深くて暗い、私だけの穴を天国として、地獄として、永遠に出られない部屋に居住するだけなのだ。
自傷をするならもっと深く抉るくらい、直接的にやれと思う。
書いて書いて、書いた先に、一瞬だけ雲の切れ目から注ぐ日の光が見えることがある。ご褒美でもなんでもない、ただとても綺麗な光。
私の裡中があらゆる罵声、あらゆる憎悪に蝕まれていたとしても、あの光が見られるなら悲鳴を上げて生きていくのだと思う。
ファイルの中身は児童小説だった。
20220707 鱧カツと冷製トマトソース、結婚記念日
Twitterで書いている日記の続き。
#diary20220707
— Risa (@Risastove) 2022年7月7日
朝から快晴。雲が夏の形をしていた。夕方まで仕事をして結婚記念日の外食に出かけた。蛸と季節野菜の先付け、白酢和え。鰹とアイナメの刺身、鱸のライム焼き。軍鶏のつくねと野菜の炊き合わせ、鱧を揚げたもの、とうもろこしとときしらずの炊き込みご飯。夏の懐石は本当に美味しかった
4回目の結婚記念日だった。夫が懐石料理のコースを予約してくれていたので、仕事を終えてから店に出かけた。以前ランチに寄って非常に美味しかった店で、今日の食事も期待を大にして出かけたがとても美味しかった。初夏の食材を中心に構成されていて、どれも手が込んで繊細、かつ贅沢な料理たちだった。以下、本日のコース内容を記す。
・先付-蛸と季節野菜を炊いたもの。
白酢和えが添えてあり、それを付けて食べさせた。季節野菜は茄子。皮を剥いて一口には少し小さい大きさに切られていた。蛸も同じように小さめに切られており、どちらも柔らかく、良く出汁が染みていて美味しかった。
・煮物碗-軍鶏の真薯と夏野菜の炊き合わせ。
黒塗りの碗に澄んだ鰹出汁を張り、その中に真薯と一筋のいんげんが浮かべてあるもの。出汁の塩加減は控えめで、鰹節の香りが高かった。真薯は滑らかできめ細かい舌触りで、刻んだ軍鶏肉も中に入っている。噛めば噛むほど肉の旨味が増して美味しかった。
・造り-鰹と皮を炙ったあいなめ。桜大根のツマを添えたもの。
これが白眉だった。刺身とはこんな清潔な食べ物だったかと思わされた。炙った皮の香ばしさ、身の歯触り、味の濃さ。運ばれて来た時はやや厚切りすぎるかと思ったが、これは口中で頬張った方がいい、それほど美味しい刺身だった。
・焼き物-鱸のライム焼き。毛馬胡瓜の漬物を添えたもの。
鱸の塩焼きにライムの薄切りと皮、もみじおろしを添えて食べさせるもの。ライムの果肉と魚の身がよく合っていた。厚めの切り身に柑橘類を合わせるのはとても美味しい。
毛馬胡瓜は「けまきゅうり」と読む。江戸時代に大阪の毛馬というところで栽培され始めた品種らしい。水分は控えめでやや苦味があり、パリッとした食感が漬物に向いていて美味しかった。
・(恐らく)八寸-鱧カツ。
鱧に細かいパン粉をまぶして揚げたもの。フルーツトマトのような、甘味の強いトマトを使った冷たいソースを付けて食べさせた。ソースには、細切れにしたトマトの果肉、玉ねぎが見受けられた。サルサのような香辛料が遠くに香るソースで、これだけでも相当に美味しかったのだが、鱧に乗せて食べるともう絶品だった。今回のコースで私が一番好きなものはこれだった。
・ご飯(香の物は省略)-とうもろこしとときしらずの炊き込みご飯。
小ぶりの土鍋で、タイミングよく炊き上げて提供してくれた。ときしらずは「春から初夏にかけて戻ってきた」若鮭のこと。脂が乗って美味なことで有名な高級魚だ。これを白米ととうもろこしと一緒に、出汁で炊き込んだものを食べた。甘いとうもろこしと塩気のある鮭の相性が素晴らしく、土鍋で炊かれた香ばしい米は芯のある美味しさで、締めとして最高のご飯だった。しめじと絹さやの味噌汁と一緒にいただいた。
食事をしながら、麦の焼酎を炭酸で割ったしゅわっちという飲みもの、日本酒を頂いた。麦焼酎も穀物の旨味があって美味しかったが、米の酒は本当に体に染みる。今回、店員さんにおすすめしてもらった「播州一献」の生酒は、フルーティで甘みが強く、微発泡で口当たりも良いため、ついするすると飲んでしまった。酒にはそれなりに耐性があるが、日本酒だけはすぐに酔いが回ってしまう。
最後に、味噌プリンなるデザート、熱い煎茶を飲んで仕舞いにした。最後まで美味しく、記憶に残る食事になった。帰って風呂に浸かりながら、森茉莉の「貧乏サヴァラン」を読んだ。森茉莉はとことん己の舌の欲求を追求していく人だが、今日のような食事を摂れば、その気持ちも共感できるような気がした。ご飯って本当に美味しいものな…。
20220706 小雨とワンピース
Twitterで書いている日記の続き
#diary20220706
— Risa (@Risastove) 2022年7月6日
朝から小雨。梅雨に戻ったように雨が続く。窓を開けていた方が涼しいので、縁側を全開にして仕事をした。夕方、夏用のワンピースが届いた。麻地の服は着やすいなと思う。夕飯は青椒肉絲、茹でたとうもろこし。明日は結婚記念日だ。
先日、日記に書いたワンピースが届いた。箱から出した瞬間、画面より若干色味が濃いような気がしたが、通販で買うとはそういうことだろうと思いとりあえず試着をした。身幅も丈も問題なく、着ていて涼しい生地だったので良かったと思った。予定通り、夏の旅行に持って行こうと思う。
旅行といえば、ずっと旅行鞄のことを考えている。夫婦二人で一泊、近場の旅行だから、恐らく小さなキャリーバッグを使うことになるだろう。あれは雨に濡れても中身は無事だし、車輪が付いているので移動も便利だが、昔から形に風情がないと思っている。トランクのような形のレトロなデザインのものもあるが、昔ながらの重たい皮のトランクに憧れる。四角くて、でかくて、実際に使ったらやたら取り回しにくいと思うのだが、旅情というか、そういうものに似合うような気がする。周りへの土産も買わない、大量の荷物もいらない、いつかそういうコンパクトな旅をすることがあればトランクを試してみたい。
明日は結婚記念日だ。夫が夕食の店を予約してくれたので、食事に行ってくる予定だ。前にランチを食べに行って、非常に美味しかったお店なので楽しみだ。
20220703 麻の夏服と窓の外、高原の霧。
Twitterで書いている日記の続き
#diary20220703
— Risa (@Risastove) 2022年7月3日
1週間日記を書かなかった。晴天。ここ最近で一番気温の低い朝だった。夫も休みだったので昼ご飯を食べに出かけた。帰りに夏用の靴と服を買いに行った。気に入るものがなく、俄か雨も降ってきたので早めに帰った。いつもの八百屋で房付きのとうもろこしを買った。夕飯はスパイスカレー。
結局、帰って通販で夏服を買った。青い麻地のワンピース。夏はとにかく涼しく暮らせることを重視しているので、麻などの軽い素材の服ばかり増えていく。良いようであれば8月の旅行にも持っていこうと思う。
朝晩窓を開けて暮らしている。飼っている猫が窓の外を見たがるのだ。ここ最近の外気は人を殺しかねない熱気だから、人間側も出来る限り猫に我慢させようとしてしまうのだが、結局、鳴き続ける猫との根比べに負けて比較的涼しい朝晩だけ窓を開けるようにした。そうしてみて気づいたのだが、朝晩の外の空気は随分肌に優しい。もちろん暑いは暑いのだが、クーラーの冷気より肌に馴染むような気がする。日中もこのくらいの気温なら、サーキュレーターか扇風機だけで暮らせるのに。(猫にとっても暑さは大敵なので、室温計で28度を目安に窓は閉めるようにした。)
地理的な条件故に、住んでいるあたりでは全く見たことがないのだが、高原地帯の早朝に発生する霧が好きだ。目視がきかないくらい濃い霧の中、肌寒さを感じながら散歩がしたい。今度行く旅先も標高が高い地域なので、そういうシチュエーションに巡り会えたらいいと思う。
20220628 檸檬と桃
Twitterに書いている日記の続き
#diary20220627
— Risa (@Risastove) 2022年6月28日
朝から快晴。今日は仕事が終わった後、少し文章を書いてからクリーニングを出しに行った。ついでに八百屋さんで桃と胡瓜を買った。桃と胡瓜という組み合わせがいかにも夏らしくて、嬉しい気持ちになった。桃は冷やしておいて、胡瓜は細切りにして茹で鶏と和えて夕飯に食べようと思う。
強い日差しのおかげで、この時期は美しいものが多い。昼間の抜けるような青空と質量のある雲。くっきりとした影、植物たちの濃い緑。海や川の水面のきらめき。夜の闇は密度が高く、そこに浮かぶように灯る明かりたちは眩しく美しい。茹だる程の暑さには閉口してしまうが、そういうものを見ると良い季節だなと思う。
夏になると、いつも梶井基次郎の『檸檬』の一節を思い出す。「二条の方へ寺町を下が」った所にある果物屋の描写で、下記引用する。
またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいに
賑 かな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。(中略)もう一つはその家の打ち出した廂 なのだが、その廂が眼深 に冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭に点 けられた幾つもの電燈が驟雨 のように浴びせかける絢爛 は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒 をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋 の二階の硝子 窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも
稀 だった。
この他にも、主人公の目に飛び込んできた美しいものを鮮明に描写している場所がいくつかあって、それが好きでこの時期はよく読み返す。この短編全体に漂う停滞した空気や倦怠感も、夏という季節にふさわしいと思う。夏は美しい季節だけれど、他の季節に比べて怠い空気に満ちている。
八百屋で桃を見かけたので、元々買う予定だった胡瓜と合わせて袋に入れてもらった。普段あまり果物は買わないのだが、夫が桃好きで新物の時期に一度は求めるようにしている。今日は冷蔵庫で冷やした後、切り分けて食べる予定だ。甘くて美味しいと良いと思う。夫の誕生日にもう一度買って、今度はタルトにでもしようと思った。
今週のお題 本棚の中身
今週のお題について。
私の本棚は白木で出来ている。大きなスライド式書棚で、前列がスライド式、後列が奥行きのあるボックスの二重構造のものだ。前列には文庫本などの背が低い本、後列には画集や絵本など大判の本を収納している。ここには全部で400冊ほどが収まっていて、ここに入り切らない量の本は買わない、もしくは整理をすると決めている。
本はここだけではなく、料理関係のものは台所、仕事に必要な参考書はデスクの上、読み返す頻度は低いが捨てられない本(思い出の一部となっているもの)は押し入れと、用途などに応じて家中に分散して置いてある。そういう場では小さな本立てを使っていて、こちらでも量が増えないように冊数を調節している。
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