生活をつづけること

日記置き場

20220628 檸檬と桃

Twitterに書いている日記の続き

 

強い日差しのおかげで、この時期は美しいものが多い。昼間の抜けるような青空と質量のある雲。くっきりとした影、植物たちの濃い緑。海や川の水面のきらめき。夜の闇は密度が高く、そこに浮かぶように灯る明かりたちは眩しく美しい。茹だる程の暑さには閉口してしまうが、そういうものを見ると良い季節だなと思う。

 

夏になると、いつも梶井基次郎の『檸檬』の一節を思い出す。「二条の方へ寺町を下が」った所にある果物屋の描写で、下記引用する。

またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいににぎやかな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。(中略)もう一つはその家の打ち出したひさしなのだが、その廂が眼深まぶかに冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭にけられた幾つもの電燈が驟雨しゅううのように浴びせかける絢爛けんらんは、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒らせんぼうをきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋かぎやの二階の硝子ガラス窓をすかし

て眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でもまれだった。

梶井基次郎 檸檬(青空文庫より引用)

 

この他にも、主人公の目に飛び込んできた美しいものを鮮明に描写している場所がいくつかあって、それが好きでこの時期はよく読み返す。この短編全体に漂う停滞した空気や倦怠感も、夏という季節にふさわしいと思う。夏は美しい季節だけれど、他の季節に比べて怠い空気に満ちている。

 

八百屋で桃を見かけたので、元々買う予定だった胡瓜と合わせて袋に入れてもらった。普段あまり果物は買わないのだが、夫が桃好きで新物の時期に一度は求めるようにしている。今日は冷蔵庫で冷やした後、切り分けて食べる予定だ。甘くて美味しいと良いと思う。夫の誕生日にもう一度買って、今度はタルトにでもしようと思った。