20220628 檸檬と桃
Twitterに書いている日記の続き
#diary20220627
— Risa (@Risastove) 2022年6月28日
朝から快晴。今日は仕事が終わった後、少し文章を書いてからクリーニングを出しに行った。ついでに八百屋さんで桃と胡瓜を買った。桃と胡瓜という組み合わせがいかにも夏らしくて、嬉しい気持ちになった。桃は冷やしておいて、胡瓜は細切りにして茹で鶏と和えて夕飯に食べようと思う。
強い日差しのおかげで、この時期は美しいものが多い。昼間の抜けるような青空と質量のある雲。くっきりとした影、植物たちの濃い緑。海や川の水面のきらめき。夜の闇は密度が高く、そこに浮かぶように灯る明かりたちは眩しく美しい。茹だる程の暑さには閉口してしまうが、そういうものを見ると良い季節だなと思う。
夏になると、いつも梶井基次郎の『檸檬』の一節を思い出す。「二条の方へ寺町を下が」った所にある果物屋の描写で、下記引用する。
またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいに
賑 かな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。(中略)もう一つはその家の打ち出した廂 なのだが、その廂が眼深 に冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭に点 けられた幾つもの電燈が驟雨 のように浴びせかける絢爛 は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒 をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋 の二階の硝子 窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも
稀 だった。
この他にも、主人公の目に飛び込んできた美しいものを鮮明に描写している場所がいくつかあって、それが好きでこの時期はよく読み返す。この短編全体に漂う停滞した空気や倦怠感も、夏という季節にふさわしいと思う。夏は美しい季節だけれど、他の季節に比べて怠い空気に満ちている。
八百屋で桃を見かけたので、元々買う予定だった胡瓜と合わせて袋に入れてもらった。普段あまり果物は買わないのだが、夫が桃好きで新物の時期に一度は求めるようにしている。今日は冷蔵庫で冷やした後、切り分けて食べる予定だ。甘くて美味しいと良いと思う。夫の誕生日にもう一度買って、今度はタルトにでもしようと思った。